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サッカー日本代表は20年前のプレミアか?!!!温故知新・銀塩カメラ!!! [everyday]

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「技術は上がってきているがサッカーを知らない。」

「日本代表の誇りを持て。」

「選手たちが監督の顔色を見てプレーしている。」

「マスコミが選手と仲良くしたらあかん、もっと厳しく言わないといけない。」

「今の代表はふざけている。一生懸命やっていると言うが、そんなのは高校生レベルだよ。」

根性論を熱く語る解説者がいる。

確かにモチベーションを保つという意味においては、根性論も大事なことではあるだろう。

日本のサッカーは今後どうなって行くのだろうか?

ドイツが中国を応援すると発表した。

10年後には中国がアジアでトップになっているかもしれない。

日々進化していく世界のサッカー界。



かたや、古いものが斬新だとブームになっている物がある。



「温故知新」



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写真について人生の大先輩と話しをする機会があった。
偶然かな、お互い同じ事を体験していた。
フィルムの現像から、引き伸ばし機での露光、写真のプリントまでの工程を自分でやっていたのだ。
話は盛り上がる。





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ちょうど娘がフィルムカメラを貸して欲しいと言ってきた頃だった。
今、若い人達の間でブームになっているようだ。
レトロな感じがいいらしい。
撮った写真のフィルムをプリントすると同時に、スキャンしたデータをCDに焼いてくれるらしい。
それをPCからスマホなどに転送して共有したりすると言う。





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そんな話を、人生の大先輩にしたところ、
不要になったフィルムを処分しようにも迷っていたから、よかったら使って欲しいとのお言葉をいただいた。
ありがたく頂戴することになった。





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(このかわいい小鳥のような紅白の花の名前はチェリーセージ(ホットリップス)と言うそうです。
花に詳しい方に教えてもらいました。)

そのフィルムが先日届いた。
高級フィルムをたくさんと、自家焙煎の珈琲と、自家製の南高梅ジャムと、ご丁寧に手書きの手紙まで添えてあった。

うれしかった。





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娘もたいそう喜んでいた。
フィルムはシャッターを1回切ったら使い捨て。
デジタルのように繰り返し使えず、加工も利かない。





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趣味の域でフィルムで写真を撮る際、1回シャッターを切るという行為にどれだけ神経を集中させたことか?
そして、これぞという写真が撮れた時は大きいサイズにプリントし額に飾ったものだ。
やはり紙に焼いて見る絵と、画面で見る絵は同じ写真でも全く異なるものがある。





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(この白いアジサイの写真は元は横長で花を中心に置いた絵でしたが、中央で縦にカットしてみました。)

レンズは単焦点の50mmの明るい大きいレンズが好きである。
自分の眼で見たままの絵がファインダーから覗ける。
この白いアジサイの写真を15インチの画面で見ると等身大となる。





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これらの写真はフィルムではなく、デジカメで撮ったもの。
娘がフィルムで撮った写真が出来たら、人生の大先輩に見ていただこう。





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このアジサイが咲いている場所は、側溝の中である。
セメントで固めてあるはずであろう所に、よくこれだけの花が咲いたものだ。
名付けて「ど根性アジサイ」。
梅雨に入ったはずなのに雨の降らない日が多い。
アジサイにとっては過酷な日々が続いている。
すると、おばあさんが塀の中から出てきてジョーロで水をまいていた。
さすがの「ど根性アジサイ」もこの暑さにはかなわないだろう。
愛情一杯に育てられていた。





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小さい、500円玉程のアジサイの赤ちゃんのような花が咲いていた。
最近よく道端などで見かける、群生化したこのかわいいアジサイのミニチュアのような花。
「ランタナ」と言うらしい。
この花の名前も教えてもらった。
野生の花が、私をよそへ連れてってこの世に拡げて下さいと、私に訴えかけている様であった。
その数日後、ふと立ち寄った花屋さんに鉢植えで販売されている姿を見た。
既にメジャーになっていた。
鳥が実を食べ種を撒き散らし、今では結構厄介者扱いされている外来種であった。
かわいい顔と裏腹に、強い生命力を持っている。
これこそ、「いい根性しているミニチュアアジサイもどき」だ。


世の中には、進化し続けなければならない物、
伝統を守るため変わってはならない物、
一度この世から消えて復活する物、


いろんな物がある。


写真一つ取っても考え方は人それぞれだ。


先日、子供のアルバムを引っ張り出す機会があった。


そのアルバムは、子供が小学校を卒業すると同時にピタッと途切れていた。


子供らそれぞれの分と一家としての分、数十冊のアルバムは時間が止まってしまっている。


それ以降の写真は各々のPCや携帯またはスマホの中にある。


フィルムしかなかった時代は、写真を見るにはプリントするしか方法がなかった。


アルバムに貼る際、メモ書きでいつのどんな写真かを添えたりした。


面倒と言えば面倒な事だったが楽しかった。


アルバムの中の写真は年月と共に色あせていくが、そこに時の流れを感じることが出来るのだ。


今はデジカメのメモリーやスマホ本体がアルバムで、


その写真は色あせることはない。


それはとても便利な事だが、なぜだか味気なく感じてしまう。


プリントされた写真を手にすると、写っている物が、そのまま全てが、目の前の「ここ」にあるのを実感できる。


写真を裏返したらただの白い紙。


しかし、PCやスマホなどの画面に顔を引っ付けて、どんなに近くで見ようが、
その写真に写っているものとの距離感は、ものすごく遠く感じてしまうのである。


画面の裏は覗けない。


目の前の画面の写真は、いろんな精密回路の中を駆け巡ってきた信号が光の点の集合体と化しているだけである。


あまりにも進化し過ぎて、
あまりにも便利で、
あまりにも簡単に、写真が撮れてしまうのは、
写真を撮ったという感覚すら薄れさせる。


そこには、何の感動もない。




この花達の写真と高く積まれたアルバムが、改めてそれを私に再認識させてくれる機会を与えてくれた。




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